技術革新って脳の退化もあるよね
こんばんは。
明日はいよいよ東レプです。
興奮が高まってきたサクでございます。今の予定だと午後参加かな。
主人サクはスネークさんをお迎えする予定ですよ。
美々の死への責めてものリベンジです。
ここから妄想が始まりすので生き物ネタしか興味ない方はスルーください笑
前回、動画を取り扱った際に、ふと過ぎった雑念をここにしたためたいと思います。
小生は一般家庭にテレビが普及する初期段階からその変遷に触れ、肌で体験できた恵まれた世代だと思います。
初めてのテレビは幼少時に観た白黒テレビでした。当時、天然色といわれたカラーテレビは2代目であったと思います。
4Kとか8Kとか、テレビの技術革新もそろそろ人間の脳の受動的キャパシティーに近づき、解像度も頭打ちとなり、新たなイノベーションを模索する競争に入ったと見ています。
ここで昔をふり返り記憶を手繰り寄せるわけですが、小生にはそのときその時代のテレビ放映された番組の記憶は、現在のテレビ番組を観てる感覚とあまり大差無いのではないかと思いました。
それが老化による記憶能力の低下による過去記憶の定着強度の影響だけとは思えません。
初期のテレビから現在のテレビへ技術進歩は言及するまでもないですが、例えば携帯電話などで普及したワンセグ映像を家庭内テレビで視聴していたかそれ以下だったと思います。
昔のテレビ、明らかに目から入ってくる情報量は現在のテレビとは遥かに少ないと思います。
そこで主人サクは危ない妄想を始めます笑
これは脳の補完能力なのではないかと。
人間の脳は、目でみたものを記憶域に到達するまでに一定の情報量を蓄積する働き、つまり補完する能力があること、それは無条件反射的に潜在意識のバイアスで記憶に焼き付けるのではないのでしょうか。
よく騙し絵というものがありますがその原理です。
この絵を騙し絵であると意識して観れば、2つの視点で観えると思います。
そう思わなければ、おそらく貴方にあるバイアスによってひとつの視点だけで記憶に残るでしょう。
情報量の少なさは、脳が補完能力によって現実化するでしょう。
ということは、昔のテレビで観た記憶には多くの脳で補完された情報が蓄積されていると思われ、それだけ脳の働きを利用していたと考えるわけです。
現在のテレビは格段に情報量が多いわけで、脳の補完能力は相対的に少ないと思います。利用しないものは退化しますね。
例えば、コンピュータの記憶域に散在的に分布したメモリーの粒、セグメントと呼ばれるものをアクセス・スピードを上げるためにデフラグという操作があります。そのセグメントの単位が脳の記憶単位に相当し、一定量の領域を確保するわけです。
あくまでデジタル視点の考察的妄想になるわけですが笑
技術革新の一端ですが、多くの利便性を追求することで本来人間が使用していた脳の機能が必要でなくなり退化している部分もあると考えるのも自然です。
技術革新をプラス面だけで考えると落とし穴もありそうで怖いですね。すべてが環境からの刺激となるわけで、人間の刺激許容度にも限界があるわけです。
どこで閾点になるかは人間の感覚器官の性能と脳の処理能力で個人差があったとしても、人間の枠で考えれば他の動物に劣っているかもしれません。
健全なバイアスのために、健全な生活を送ってくださね!
「やはり人間ってわからない・・・」
アカアシのサクは色彩コンストラストも強くなり絶好調ですね。あくびするのを観るのが一番の健康バラメータです。
明日の東レプ、写真や動画を出来るだけ撮ってこようと思いますが、スマホとタブレットのバッテリーの関係で難しいですかね。地方に住むものにはミニ・トリップです笑
サク