半世紀生きた僕の教育持論
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僕の教育に対する持論
現在の日本教育、子供教育から社会人教育までブリキおもちゃのような中身のない表層だけの教育、僕はそれをブリキ教育と造語している。
子供教育がまさに嘆かわしい。
教師の教えることを必死にノートに書き留めている姿、一部の優れた教師が本当に教えたいことはマニュアルのような記憶偏重の言葉や文字だけではないはずだ。
今の教育を否定しているわけではない。
大半の教師が陥るドグマ、文科省や日教組から落ちてくる指示に従順に従っていれば子供は教育できると浅知恵に精進しない教師たちだ。
教育とは生涯学習の必要性と教育に完成形などなく自然物全てが未完成であることの気づきとして基盤を作ることに大きな役割があると思う。
人を教えたるものこそ、毎日新しい知識を吸収し、知恵として教育カリキュラムに教師自身が現実社会へ教え子を送り出すために必要な厚みのある教えをすることだ。
昨年であろうか、イスラム国に拘束され殺された後藤さんの殺害動画を生徒に観せた大馬鹿教師がいた。
一部の教師は情操教育も不完全な子供にそんな行動を起こすことが全く理解できない。
もういい加減に偏差値などの馬鹿指標に一喜一憂するのは正直改めてもらいたい。
韓国社会は日本国以上に悲惨だ。毎日、子供が4人くらい自殺している。
産業革命以来、資本の定義が変わった。
農作物から物やサービスとしての付加価値となったのだ。
だから、国富はGDP指標での経済成長することが前提となった。
当然ながら、経済戦争が戦争となり多くの人命が失われる。
大分、歴史的に資料は積み上がった。それから、同じ誤りを繰り返さない知識を十分にある。
それを生かすも殺すも今の子供達なのだ。
既成概念のドグマにはまらない発想が柔軟な子供達だけが、持続性のある平和な地球社会を、創造する思考の種を持ってると僕は信じる。
教師たちよ、もっと広い視野で子供達を教育してください。
大学の落ちこぼれが教師を選択するのでない。教育に誇りを持って子供達と向き合ってほしい。
そして、子供の顔が黒板とノートに振り回されるのでなく、教師の顔を楽しそう見つめる子供達の顔を僕はみたい。
サク