亀になりたい、蛇になりたい
子供たちの新学年がはじまり、家庭訪問の時期となりました。
小学5年生と3年生、先生との語らいを楽しみにしています。
ふたりとも男の先生ということでしたが、爬虫類くさい応接間の匂い対策のためにアロマを焚きました。
先生たちとの懇談も無難にすみました。
先生たちの日常の凡庸さに、なにか気の毒に感じました。
これで子供たちに、大切なことを教えることができるのだろうかと?
子供たちには社会性も大切ですが、そんなことよりも生きてることの奇跡を実感できる精神的成熟した覚醒が一日も早く訪れることを願っています。
下手したら人間社会の無為な強要により一生覚醒しないで死ぬ人生もあるでしょう。
もっとも覚醒しなくとも当の人格にはなんの害もないのですがね。
人の脳の満足とは、非日常性の外からの刺激にあると思います。
歳を重ねると、そのような事象がエピソード記憶のパターン化により、必然的に刺激は減ってきてしまいます。
安易な表現を使えば、”すべてがくだらい”となります。
20代、30代のかたは、人生もまだまだこれからですから、人生を謳歌すればよいでしょうね。
ただ、人生の先輩である年上に世代の生き様には逐次よく観察して、必ず来るその年齢になったときに、内面的な豊かさを獲得しないといけません。
それは、哲学かもしれないし、宗教かもしれないし、専門的な自然科学かもしれません。
心の内面を追求するテーマを持ち続けるということだと思います。
爬虫類は実験でエピソード記憶を持たないことが立証されています
亀にも、蛇にも、毎日が非日常な毎日なわけです。
物事にあきることもないし、退屈だという概念もない。
小生が亀や蛇だったら、死ぬ時まで刺激的な生活を謳歌できるのだろうと、亀や蛇が羨ましく思えてきた休みの日のひとときでした。
サク