「「時間」を哲学する」を読んでみた
「時間」を哲学する 中島義道著
昨日に読了する。
中島先生の本で初めに何から読もうかと悩んだあげく、この本にしてみた。
意識、無意識にかかわらず、「時間」のために人は全ての悩みの根源がある気がする。
小生が死の恐怖を感じたのも、小学生の頃に初めて心臓の鼓動を聞いたときに遡る。
今、この鼓動が止まるのではないか、そんな恐怖である。
死の恐怖、この本では「死に続ける」という表現に死の恐怖について論説される。
地球が生まれたときから現在までを一年スケールで表した場合、人類の歴史は大晦日の年明ける1時間前と何かの本で読んだことがある。
そんな悠久な時間の流れのなか、現世の人間関係、いや人類との関係性への欲望など無いに等しいことに気づかされる。
中島先生は、「時間」には過去中心主義を唱える。
現在中心主義と未来中心主義を唱える哲学者もいるが、興味ある方は調べてほしい。
一年近くまえに、こんな記事を書いてみた。
未来の景色は思い出という名の記憶の粒からできている
自分は直感を常に大切にすることを信条としているが、中島先生の説かれることに洞察は符合している。
なぜ、年をとると時間が早く感じるか?
興味があるかたは、この本を読んでみてください。哲学本なので本当に強い関心がないと読み終わる前に心が折れます。
屁理屈抜きで、中島先生が曰く、「未来は無である」そうです。
「時間」はすべて過去の客観的時間と印象的時間の相関として存在するらしい。
と言っても分かり難い。良く直線上の前後関係で「時間」を表現するが、そのような空間的なものではない。
中島先生に水先案内して頂くと決めているので、我々は今の瞬間も過去に生きていると言ってしまう。
人生経験を重ねるごとに過去のテンプレートをオーバーライドして生きている。
なんら世界観を広げる努力をしない人間は、スモールワールドで人生観を語るようになる。
小生はそんな人には魅力を感じないし、ネットでも交流したくない。
日記のようなブログを他人様の貴重な時間を割かせて読ませることに罪悪感を感じる。
読んでいただけるようなブログにつとめたい。
話は変わるが、テレビで有名なサイエンスコメンテータがタイムトラベルは可能であると言っていたが、タイムトラベルはできないと感じる。
歳をとらないと見えてこない世界、面白いですね。
サクおじさんは「老いる」ことに卑下する人も嫌いです。「老いる」の意味には尊敬する気持ちが含まれている。
つぎは、どんな中島先生の本を読もうかな?
では、また( ^ω^ )
サク