類似性の安住からの脱却
本日、読了する。
「親鸞」五木寛之 多くの示唆に富む面白い本でした。
そのなかでのひとつの気づきだけを!
人は目でみたもの全てが見えていると思う。
それは誤解であり、人は見たいものだけが見えているわけだ。
この世界、何回かの言葉を交わすと、相手の住む世界の広さを感じ取ることができる。
なかなか人は他人を自分と異なる世界感であると気付いても受容するのは困難な生き物らしい。
そのため、落ち着けるのは自分の安住域、それを拡大し住める世界を広げるのは精進を要する。
なかには、「バカの壁」でその有意の存在さえ気付けない。
社会の一般通念に準じた似たような考え方を持ち、自分の住む世界が共通の世界感と錯覚し、その世界に安住する。
環世界。実際は異なった世界を全ての人が生きている。
人の豊かさとは、住む世界の広さだと思う。
面白楽しければそれだけで良いという風潮には埋没しないようにしたい。
「類似性の安住」こそが、この閉塞感を生み出す巣窟なのだ。
サク