アナログが究極の先端技術だ!
デジタル全盛期のご時世にアナログ技術に拘るにはそれ相当の理念があるわけだ。
市場シェアが7割とかいっても市場の調査会社が注目する指標では量れないのだ。
小生がかれこれ15年前にデジタル映像LSI開発する会社に身を置いた。
今では死語となりつつある「地デジ」、地上デジタル放送であるが受信機であるテレビは全て映像技術に当たり前のようにチップが組み込まれている。多少の関心がある方はご存知であるがMPEGである。
デジタル放送にはMPEG2-TSという規格が利用されている。
小生は開発者として自慢ではないが造詣が深いものだろう。
ここでMPEG2の規格、デジタル変換技術などを言及する気持ちはさらさらない。
ただ、先ほどのレコード針の開発会社と小生のなかの経験でスパークするものがあったので取り上げた。
映像のデジタル化、音声のデジタル化、その複雑さは異なるものの要素技術は全く同一なものなのだ。
シャノンの定理、標本化処理、量子化技術、圧縮技術など要素技術は現在も変わっていない。
難しいことは抜きにして、大切なことは人間が生活するうえで必要な五感は脳が認知する段階では全て電気信号なのだ。
人間の脳も手順はともかく似通った処理をして世界を認知しているのである。
だが脳が処理できる情報量はデジタル化されることで少なくなることは想像に難くない。
つまり脳のリアルな世界で受容する情報はデジタル化された映像、音楽、香り、触感、旨味など遥かに劣化しているのである。
現行のデジタル変換技術は人間の脳が補完できるレベルがあり、人間はその感覚に感覚器官が慣れ親しみ鈍感になっているのである。デジタルの映像・音声デバイスはリアルな世界には敵わないのである。
だからエンターテイメント含め現実世界はライブのライブたる価値があるのである。劇場でオペラや芝居を観るのもテレビで観るのとでは全く心の奥底まで沁み入るような感動はそんな人間工学的な見地がある。
文学の世界でも作者の心理描写が行間に現れるというが同じニュアンスではないか。
将来に脳の処理できる情報量を越えるものが発明されるかというと些か疑問である。
飛躍するが宇宙の解明する宇宙論が素粒子物理学の研究に委ねられる「ウロボロスの蛇」状態は人間の脳にも通じることではないかと小生は思うのである。
最先端な世界、それはリアルな世界、そしてアナログの世界なのだ。
それを忠実に再生するレコード針とレコード盤こそ未だに音楽鑑賞の最先端技術による環境でプライスレスな世界なのだ。
サク